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『聞き書き 木更津の女たち』

先日の真舟小学校の竣工式で、木更津市長の水越勇雄様とお話させていただいた際に、私のピアノの先生の話をしました。「私の中学、高校の時のピアノの先生のお父様は、木更津市長だったそうです。何だか、ご縁というものを感じますね」と。

私の先生、故尾田綾子先生のお父様は、医師であり、2代目木更津市長の山崎直様です。私の記憶では、初代木更津市長と伺っていた気がしましたが、Wikipediaで見てみたら、2代目だったようです。

聞き書き 木更津の女たち聞き書き 木更津の女たち
(1997/09)
島 利栄子、木更津女性史研究会 他

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この本に、故尾田綾子先生のことが書かれています。都内のお医者様と結婚し、子育てをしていたら、ご主人が出征。尾田先生は二人の娘を連れて、木更津に疎開しました。その間に、東京大空襲があり、敗戦を迎えます。旦那様の帰りを待っていたのに、拘留中に亡くなってしまったそうです。それから、清和女子短期大学付属高等学校の音楽の先生を21年間し、自宅の生徒が増えたので、音楽大学を目指す生徒の指導に力を入れるため、教職は退職されたそうです。木更津に疎開をせずに、東京で旦那様の帰りを待っていたら…、私にピアノを教えていただくこともなかったのですね。

この本の中で、尾田先生は、「これからも才能を持った子をいかに潰さず、導いてゆくかが私の課題だと思っています。…仕事は楽しいことです。若い人たちの相手をするのは、本当に楽しいわ。」とおっしゃっていました。厳しかったけれど、楽しんでらっしゃったのですね。私のような、ごく普通の女子中学生にも、期待してくださったのは、やっぱり嬉しかったです。私は、「厳しい先生」というのは「熱心な先生」だと思っています。

水越市長に、「尾田先生は、怖かったでしょう。」と言われました。ご存知のようでした。はい、怖かったです(笑)。弾きながら、楽譜で手も叩かれました。出だしの4小節だけを繰り返し、1時間弾かされました。でも、愛情は感じました。だから、やめませんでした。

ピアノに限らず、芸術、伝統芸能、スポーツなどは、師匠と弟子、という関係になれないと、吸収できない部分があるような気がしています。弟子は、師匠を心底尊敬し、信頼し、慕う気持ちがないと、技が心や体に入ってこないと思っています。師匠に嫌われれば、破門されます。容赦ない世界です。

尾田先生にレッスンをお願いするようになったのは、私が中2の時でした。当時の先生である谷口ゆり子先生の先生が、尾田先生でした。初レッスンは、谷口ゆり子先生と2人で、尾田先生のお宅に伺いました。その当時、既に70歳代でした尾田先生でしたが、挨拶をすると「やる気がないのがわかったら、すぐに戻ってもらうから」とぴしゃりと言われ、めちゃくちゃビビったのを覚えています(汗)。ご挨拶の後、木更津駅前の喫茶店で、谷口先生にパフェをご馳走になり、かえって、「これは、本気でやらないと、まずいぞ」という思いがこみ上げてきました。

もう、そこからは必死です。中3だったので、高校受験の勉強もしつつ、ピアノも毎週1時間レッスン。高校入学後からは、ピアノのレッスンの他に、毎週3時間、先輩方と一緒に聴音&新曲視唱でした。さらに、千葉市までサクソフォーンのレッスンも受けに行っていました。一時、こちらが本命でした(笑)。

親も大変だったと思います。お月謝がね。感謝、感謝です。

これまでにいただいた素晴らしい先生方とのご縁、レッスンに注いでいただいた情熱、練習に使った時間、お月謝、学費、奨学金。最後はお金ばっかり…(笑)?この全てに報いるために、私は音楽をやめずに、続けてきました。

天国にいる尾田先生、少しはご恩返し、できましたでしょうか?

「まだまだ、これからよ!あなたは、もっとできるでしょ!」

そんな声が聞こえてきました(笑)。はい。精進します!



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木更津の女たち

はじめまして。
私は、この本が発売されて直ぐに購入した一人です。
当時、二十代後半でした。1970年生まれです。
なので、あれから20年程経過しました。

なぜ、私が「木更津の女たち」を買ったのか…
それはやはり、君津市在住だった自分にとって、木更津の街は大都会であり、憧れでもありました。
それがトラウマでだったこともあるのだと思います。
なので、当時木更津の本屋に売られていたこちらの本に手が伸び、購入しました。

私は近代史が好きで、特に第二次世界対戦である「大東亜戦争」について色々と興味があり、購入したのも一つの理由にあげられます。
祖父も海軍で若くして戦死したのも要因だと思います。

話を戻しますが、つい最近「木更津の女たち」を読み直しました。
二十代後半に読んだ時と四十代後半に再読した感想も多少なりとも異なる訳です。

私は今になって「えーっ!あの!」と、気付いたのはこの、山崎病院の尾田綾子さんでした。

三島由紀夫の本に「青の時代」というのがあります。
これは、昔実際に起こった「光クラブ事件」を題材にフィクション化したものです。
この主人公に木更津市出身である山崎病院の息子さんを起用しているのです。

三島由紀夫は木更津市をK市として記し、淫風甚だしい町と冒頭で綴っています。
三島と尾田綾子さんの兄か弟さんが東大の学友だったらしく、お互いに変り者であり、変なライバル意識なのか、嫌い同士なであったため、主人公に抜擢したと聞いたことがあります。
また、山崎病院の院長先生は非常に厳しく、看護婦も夜逃げする程だったらしいです。
昔、ネットで検索した時に見つけました。

その兄妹の尾田綾子さんも、やはり山崎病院のことを書かれており、非常に院長先生が厳しく、士族出のため、プライトが非常に高かったみたいですね。

でも、木更津の女たちを読むと皆さん、相当苦労されたのが分かり、敬服してしまいます。
今の世の中、平和ボケで自由ばかり謳われ、昔の厳しさが全くありません。

自分がガキの頃、明治・大正生れの人が多く、厳しい人が多かったですが、その中に優しさを感じたものでした。

苦労した人にしか醸し出せない不思議な魅力がありました。

長文かつ、支離滅裂な文章で申し訳ありません。
「木更津の女たち」を検索したら、こちらのブログについつい目がいってしまいました。

また、尾田綾子さんの想い出を綴っていただければ非常に幸甚です。

お邪魔しました。


Re: 木更津の女たち

>ゾウイさま

はじめまして。

「青の時代」も、もちろん持っています。ドラマ化もされましたね。木更津市立図書館の2階の郷土資料室には、元市長の資料よりも、ご長男の資料の方が多いくらいです。

尾田先生も大変厳しい方でした。ご挨拶に伺った日に、「やる気がなかったら、すぐに元の先生に戻すから」とピシャリと言われました。でも、ピアノを嫌いになったり、やめようと思ったことはありませんでした。終始「やってごらん」という気持ちで見守ってくださったと思います。次のレッスンまでには、絶対よくなっていようとする日々の繰り返しでした。その精神は、大学や社会に進んでからも大変役に立っています。現在、門下の上下関係、師匠と弟子の関係というようなものは、今はあまり感じられませんね。

No title

レスありがとうございます

今時、山崎先生のような先生がいないのはとても寂しい限りです。
ピアノだけではなく、躾や作法など何に対しても完璧であり、ブレない先生が多かった気がします。
己にも厳しい人が多かった気がします。
時代背景が大きく関わっているものの、今現在ではカリスマ的存在は目にしなくなりました。

話は飛びますが、私の勘違いで光クラブの長男は三島由紀夫の一級上でした。

では


プロフィール

萩本亜矢

Author:萩本亜矢
千葉県木更津市でリトミックとピアノの教室H.I.M.木更津を主宰しております萩本亜矢です。

『いつもおそばに音楽を』を合言葉に、音楽を通した地域の発展のお手伝いができたら幸いです。

武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ専攻卒業。現在、3歳児から70代までの生徒さんにピアノのレッスンをしています。

2013年に出版された『はじめてみよう スキルアップ音楽療法(クオリティケア出版)』に作詞作曲した楽曲が掲載され、2014年4月開校の木更津市立真舟小学校校歌の作曲者に採用されました。

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